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最高裁判所大法廷 昭和25年(れ)548号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を札幌高等裁判所に差し戻す。

理由

検察官上告趣意第二点第三点について。

本件殺人の点に関する公訴事実に対し、原判決の判示によれば「然しながら・・・・・・被告人には精神病の遺伝的素質が潜在すると共に、著しい回帰性精神病者的顕在症状を有するため、犯時甚しく多量に飲酒したことによって病的酩酊に陥り、ついに心神喪失の状態において右殺人の犯罪を行ったことが認められる」旨認定判断し、もってこの点に対し無罪の言渡をしているのである。しかしながら、本件被告人の如く、多量に飲酒するときは病的酩酊に陥り、因って心神喪失の状態において他人に犯罪の害悪を及ぼす危険ある素質を有する者は居常右心神喪失の原因となる飲酒を抑止又は制限する等前示危険の発生を未然に防止するよう注意する義務あるものといわねばならない。しからば、たとえ原判決認定のように、本件殺人の所為は被告人の心神喪失時の所為であったとしても(イ)被告人にして既に前示のような己れの素質を自覚していたものであり且つ(ロ)本件事前の飲酒につき前示注意義務を怠ったがためであるとするならば、被告人は過失致死の罪責を免れ得ないものといわねばならない。そして、本件殺人の公訴事実中には過失致死の事実をも包含するものと解するを至当とすべきである。しからば原審は本件殺人の点に関する公訴事実に対し、単に被告人の犯時における精神状態のみによってその責任の有無を決することなく、進んで上示(イ)(ロ)の各点につき審理判断し、もってその罪責の有無を決せねばならないものであるにかかわらず、原審は以上の点につき判断を加えているものと認められないことは、その判文に照し明瞭である。しからば原判決には、以上の点において判断遺脱又は審判の請求を受けた事件につき判決をなさなかった、何れかの違法ありというの外なく、即ち論旨はこの点において理由ありといわねばならない。

そして、本件公訴事実である賍物故買の罪と殺人の所為とは、併合罪の関係にあること明瞭であるから、もし前示殺人の所為につき有罪と認定されるものとすれば、被告人は以上両罪につき併合罪として処断せられる関係にあるをもって、この点よりして原判決全部を破棄するものとする。

よって、検察官の上告は以上の点において理由があるから、爾余の論旨並びに弁護人の上告論旨に対しては判断を省略し、旧刑訴四四七条四四八条の二に従い、主文のとおり判決する。

この判決は、裁判官斎藤悠輔の少数意見を除き、全裁判官一致の意見によるものである。

裁判官斎藤悠輔の反対意見竝にその前提である上告趣意第一点に対する単独意見は次のとおりである。

検察官の上告趣意第一点について。

原判決は、先ず本件公訴事実を引用するのに、その起訴状に記載されている公訴事実中より故ら「突嗟に殺意を生じ」とある部分を省き、且つその公訴事実に対する判断として「被告人に伊藤一夫に対する暴行又は傷害の意思があったとの点を除き」その他の点はこれを認めることができると説示しているだけで、右の除外した点を少しも判断していないのであるから、本件公訴事実中の被告中の主観的認識である、伊藤一夫に対する「殺意」若しくは「暴行又は傷害の意思」についてはこれを肯定したのか否定したのかその理由を知ることができない。従って、原判決は、被告人が本件起訴状記載の殺人行為を心神喪失の状態において行ったとしたのか、若しくは第一審判決の認定したような傷害致死の行為を同状態において行ったとしたのか、又は過失傷害致死の行為であるが心神喪失中の行為であるから無罪としたのか等その判決の実質的確定力(いわゆる既判力)を明らかにすることができない。

次に、原判決は「被告人及び証人小西英治、松本悦子の各供述記載及び当審鑑定人阿部政三の鑑定書の記載を綜合すると、被告人には精神病の遺伝的素質が潜在すると共に、著るしい回帰性精神病者的顕在症状を有するため、犯時甚だしく多量に飲酒したことによって病的酩酊に陥り、ついに心神喪失の状態において右殺人の犯罪を行ったことが認められる」と説示している。しかし、原判決挙示の被告人及び右証人の供述によれば、犯時可成りの量の飲酒をした事実は認められるが、所論のごとく被告人の精神病的状態に関してはこれを窺い知ることができないし、また、右鑑定書には所論摘示のごとく「この精神状態は、直接の原因は、勿論多量の飲酒による酩酊のためであるが、被告人の素質を考える時、精神病の遺伝的素質が潜在すること、精神病質(変質者)としての心神の顕在症状の所持者であること、又当時砂糖闇買事件や婦人関係による家庭的不和による精神過労等の諸因子が基調にあったため、病的酩酊に陥ったものと思われる云々」と附言しており、原判決認定のごとき精神病者的素質の潜在と回帰性精神病的顕在症状を有するだけのために、多量飲酒と相待って病的酩酊に陥ったものとは記載されていない。しかも鑑定書記載のごとき精神過労の因子については原判決中にこれを確認するに足る証拠は少しも挙げられていないのである。

果して然らば、原判決には判決の理由に不備あるか又は充分な証拠に基かないで心神喪失の事実を認定した違法があるものというべく、所論は結局その理由があって、原判決は、この点において、破棄を免れないものと考える。

同第二、三点について。

所論は、要するに、原判決が本件犯行時に被告人が心神喪失の状態にあったこと及びこの状態は被告人の自ら招いた酩酊によって一時的に招来されたものであることを認めながら、斯る酩酊を自ら招いたことについての責任条件と責任能力とに十全な審理を尽さず直ちに被害者伊藤一夫の死を生ぜしめた被告人の行為について全然刑事責任のないものと判断したことは、畢竟審理不尽の結果審判の請求を受けた事件について判決をしなかった違法があるか又は事実確定に関する法則若しくは実体刑罰法令の解釈を誤ったかの違法があるものとするものである。

しかし、原判決は、前論旨で述べたように要するに被告人は精神病的素質の潜在や精神病者的顕在症状を有するため(鑑定書にはその他前論旨で引用したような特別な因子があると記載されている)犯時甚だしく多量に飲酒したことによって病的酩酊に陥りついに心神喪失の状態となった旨を認定しているだけで、所論のように単に自ら招いた酩酊によって一時的の心神喪失の状態になったこと若しくは多数説のごとく被告人が多量に飲酒するときは病的酩酊に陥り、因って心神喪失の状態において他人に犯罪の害悪を及ぼす危険ある素質を有すること等は何等認定していない。そして、いわゆる「原因において自由なる行為」を犯罪責任ありとするのは、もとより「心神喪失中の行為」そのものを犯罪責任ありとするのでなく、むしろその「心神喪失中の行為」をば一種の道具又は因果関係の一部と観察して、これに先行する心神喪失の原因となった自由意思行為を犯罪行為とするものである。従って、かかる特殊異常な場合における「原因において自由なる行為」の責任を審判するには、かかる特別な場合の行為につき明確な起訴のあることを要すること論を俟たない。しかるに、本件起訴状には単に「被告人は、昭和二三年四月二二日午前一一時過頃より函館市音羽町五〇番地飲食店「サロン暁」事田川タケ方に於て同家使用人伊藤一夫当二七年と会飲したるが、同日午後二時過頃同家調理場に於て偶々来合せたる同家女給松本悦子を酔余故なく毆打したるを居合せたる前記伊藤等が制止したるに憤慨し突嗟に殺意を生じ傍にありたる肉切庖丁(証第六号)を以て同人の略左そ蹊部を突刺し因て左胯動脈切断に依る出血に依り其の場に即死せしめたるものなり」とあるだけで、所論のごとき酩酊によって一時的の心神喪失の状態に陥って本件犯行を為したこと並びに酩酊又はこれによる一時の心神喪失が故意又は過失によって自ら招いたものであることは、全然記載されていないのである。果たして然らば、所論は既にその前提において採用することはできない。また多数説は、本件起訴状並びに原判決を精査しないで、通常の殺人行為と所論のような特殊異常な殺人行為とを混同し却って、自ら審判の請求を受けない事件について判決をする違法を犯すものというべく、到底賛同することはできない。

(裁判長裁判官 塚崎直義 裁判官 長谷川太一郎 裁判官 沢田竹治郎 裁判官 霜山精一 裁判官 井上 登 裁判官 栗山 茂 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 河村又介)

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